漢文を學ぶ爲に中國からきた留學生の友人が何人もいる。その友人たちに決まってする質問がある。「中國で一番知られている漢詩はなに」というもの。「李白の《静夜思》だ」と彼等の8割が答える。李白というネームバリューもさることながら、《静夜思》という漢詩そのものの分かりやすさが、それだけ人口に膾炙している理由の一つだろう。
   《静夜思》
  牀前看月光  牀前 月光を看る 
  疑是地上霜  疑ふらくは是れ地上の霜かと
  舉頭望山月  頭を舉げて山月を望み
  低頭思故郷  頭を低れて故郷を思ふ
どの注釋書も上記のように訓讀しているので、どのように讀むのかということについては、ブレはないだろう。しかし、現代語譯になると、微妙にちがう。武部利男注の『李白 下』(岩波書店。中國詩人選集8、121頁)は、

ベッドの前にさしこんでくる月の光を、ふと、地におりた霜かとおもった。
頭をあげては山の端の月をながめ、頭をたれてはふるさとのことを思った。

と譯す。また、松浦友久編訳の『李白詩選』(岩波文庫赤五―一、21頁)は、

寝台の前にさしこんだ月光を、じっと見る。
もしかしたら、地上におりた霜なのかと。
顏をあげて山の端(は)の月を望み、
顏をふせて遠い故郷を思うのだ。

と譯す。そして、今回買った桃白歩実の『関西弁で愉しむ漢詩』(寺子屋新書、43〜45頁)は、

布団の中から/射し込んだ/月の光を見る/キラキラ光る/霜みたい
顏をあげて/山の上に/かかる月を/ぼんやり見上げる
枕に顏をうずめて/帰られへん/故郷のこと/思い出すねん

と譯す。
こういったものは、単に翻譯しているだけだと思われがちだが、それはちがう。短文であればあるほど、その譯者のことばに對するセンスが問われている。問われているのは、譯者その人である。その意味でも、原義をふまえながらも、解釈をはばたかせている桃白歩実さんの言葉に對するセンスに期待する。話は變わるが、故・高橋和巳さんならこの漢詩をどう譯すのだろうか?ふと、そんなことを思った。